透明性の確保、説明責任について
難しい話ではありません。
市の広報、市議会だよりについて考えてみてください。
星野前市長の事件から損害賠償金の支払いとなり、そして本件の住民訴訟勝訴判決となりました。
執行長の市長をチェックするのが市議会ですが、それができなかった後悔、後ろめたさが議会にあったかもかも知れません。
いくら法的な見識に欠けるとは言え、法律相談のまとめだと見せられて「このように弁護士からは訴えられても負けることはないと言っている」などと助役から言われて、つい納得してしまったかも知れません。
また、星野前市長は背後では専決処分というものをチラつかせていたフシもあります。
私は、議会がこのような市長部局との駆け引きの中で、打算的に条例可決という協力をしてしまった部分があると推論しました。それだからこその全会一致の可決でした。
「国分寺市議会は議会の権限を守ろうとした」と言えるのではないでしょうか。
それは地方自治を守ろうとしたとも言えます。
執行の長は市長です。
だからなおさら、この損害賠償金の支払いについて当時の議員らが積極的に説明責任を果たそうとしなかったことには問題があると思います。
議員は、批判を怖れるべきではない。正面から受け止めればよいだけではないか。
私はそう思います。
調べ上げた証拠と議事録から、議会はやはり星野ら市長部局に「動かされてしまった」というしかありません。
しかしもしこれを「議会の失態」と受け止めるあまり、正面から向き合うことを避け、また口をつぐむようであれば黙っているわけにはいきません。
議会は「市議会だより」や市の広報で詳細な経過説明や、住民説明会の開催などをして市民に説明すべきでした。
議会に条例を可決した後ろめたさがあって、前市長の請求には住民訴訟を待つしかなかったとしても。
こういう市民への説明責任を果たすこと、透明性の確保ということも、私の政策目標です。