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東京都国分寺市住民訴訟原告のブログ、   私物化された市政を正す

政府判断による裁量が広がる可能性

 政府の観光支援事業「GoToトラベル」は、東京発着旅行を直前で除外することが曖昧なまま決まったようで、議論はくすぶったままです。

 新型コロナ感染というこれまで経験したことのない事態ですから、政策にチグハグなものがあることは仕方がないのかも知れません。

 

 しかし私はこの件について別の立場から書いてみようかと思います。

 

 今回の政策判断は、ちょっとしたブレイクスルーとなるのではないかと考えているからです。

 国分寺市は、違法状態をもみ消した札付きの自治体となるかも知れないからです。

 

 

 今の段階で、なぜ東京が事業から外されたのか明白なものはありません。

 感染者数が多いといってもその線引きは明確なものがあるのでしょうか。

 鹿児島もクラスターがありますし、大阪も少なくない感染者数です。

 

 しかも無症状なら基本的には検査することは少ないのですから、どうして東京が今回の事業から除外されてしまうのか、その基準はどこにあるのかという問題はあるでしょう。

 

 これを政策判断による「裁量」としてよいのでしょうか。

 もちろん、ここに法律による定めはありません。

 

 自治体を区別する流れが生まれていると考えられるかも知れません。

 

 今後、国分寺市のように四億五千万円もの金を特定の個人に利益供与したことを違法と司法判断しないのであっても、最高裁が判断をしないとしても、そうした政治に無法な問題があったことは事実です。

 

 星野前市長への弁済請求は認められた判決が出ていることにに変わりないからです。

 

 

 政策当局からすれば、国分寺市法治主義を無視する傾向のある地方公共団体であるという判断はできるかも知れません。

 つまりそれを前提として、なんらかの措置の対象となってもおかしくはないということです。

 国分寺市は区別されてもおかしくはありません。

 

  

※ 「ふるさと納税」で泉佐野市は政府の反対を押し切り、制度設計をかいくぐって政策を強行し続け、政府の政策対象から除外されました。

 法律が出来た後にも政府は除外を続けたため、これは「おしおき」ということになり、適法でないことにはなりました。

 

 しかし過去、泉佐野市が制度設計の趣旨に反したことは認められてはいません。

 

 H氏などはこれを「男を上げた」などと馬鹿なことを言っているようですが、とんだ無法な感覚、とてもあり得ない無責任な認識だと思います。

 

 

 遡っての「おしおき」は許されないかも知れません。

 しかし、政策に賛同しなかったり、法治主義の姿勢にかけるような自治体、つまり信用ならない自治体がなんらかの不利益を受けても許される。

 

 それは今後、「裁量」ということになるはずです。

 

 星野前市長へ請求しないという違法自体を放棄した「裁量」とは言葉の重みが違う。

 そこは最高裁判断になるでしょうから今は言及しませんが。

 

 

 これから、新型コロナの経済的な影響のために、政策投資や予算でポイントを絞る必要は様々な場面で必ず出てくるでしょう。

 

 これからは自治体を区別すること。「東京都は除外する」ようなことは当然のように起きてゆくと思います。

 

 図らずも、今回の除外について「イジメではないか」という声が上がったと聞きます。

 しかし東京都が感染の抑制に失敗し、他の自治体が穏当にやってきたというのであれば、除外されてもしかたがない、東京都は他の自治体の脚を引っ張ることは許されない。

 

 そういう「裁量」は、今後、増えてゆくのではないか。

 

 私はそう思います。

 

 

 現職の議員らは、恥も外聞もなくやって、お咎めなしと思っているようですが、自治体運営として、信頼という問題は残るでしょう。

 

 これから先、どんな政治家人生であるにしても、汚点は残るでしょう。

 

 「おだいじに」としか言いようがありません(笑)。