最後の結末、国税
裁判係属中につき、あまり記事の更新ができませんでした。
そして次の段階を見守るということもあり、なかなか更新がしにくかったのも事実です。
もう最高裁から棄却という判断が出て、4月15日を過ぎましたので、もう話してもいいかも知れません。
それが本件の結末ということになります。
星野前市長は所得税を申告しなければなりません。
普通、債権放棄というのは住民が破産寸前であるとか、もうこれ以上は市税を取れないということでやむなく放棄をするものです。
市議会は勘違いしていたようですが、裁判によって確定された巨額の金銭が贈与されたことになります。
国分寺市は法人ですから、星野氏には所得税がかかることになります。
対照となる星野前市長が得た利益は、利息分と合わせて約6億6千6百万円です。
控訴審、高等裁判所の判決によって「債務は存在していたが、放棄されたことで裁判の争いの対象となるものは消滅した」とされていることは、すなわち、「贈与」の事実を確定させています。
この税金は放棄できません。
申告漏れをしていれば重加算税がかかる可能性もあります。
4月15日というのは、コロナで延長された確定申告の期限です。
星野前市長には多額の資産があります。
そして所得税からは逃れられません。
もし、仮に住民訴訟がなかったとすれば、星野前市長の債務は確定しなかったかも知れませんし、放棄したとしても、その債権がどのようなものであるか、不明瞭なものだったかも知れません。
しかし今回の住民訴訟でそれか確定されました。
東京高等裁判所の判決は「債権放棄された事実」を認めましたし、その債権についても「存在した」と明確に認定しています。
だからこそ、本件裁判は終了したのです。
もし国税が動かないというなら、我々は国税を相手どって四号請求訴訟をまたすることになるでしょうが、それはまずないと思います。
国税が徴収しないものを徴収するように求めるなど、そんな話は前代未聞でしょう。
私どもは、別に星野前市長に責任のある個人的な行為について債務の存在を訴えました。
彼がやったことは法治主義を踏みにじるものであり、我々の生きているこの法治国家である日本では決して許されない暴走でした。
そして損害賠償させられるという、無責任なものでだったのです。
彼はその行為によって個人的に債務を抱えました。
それがいきなり放棄されたということは、どんな理由であれ、贈与、法人からの場合には所得税がかかることになります。
国分寺市は法人になります。
この税金は死んでも払うことになります。
破産しようが許されない。
どこまでついてくるものです。
よく知られていることです。
少し前、競馬で稼いだという人がいて、その人は申告しながら経費を認められず一時所得として取り立てられたことがありました。
経費が認められなければ、払えるはずもない金額が税金として徴収されることになりました。
その時、徴税は破産しようが何だろうが決して徴税からは逃れられない、そんなことが話題になったものです。
有名な話です。
最高裁は棄却し、本件住民訴訟は終結し、判決は確定しています。
今回の星野前市長に対する議会と市長による債権放棄は国分寺市による「利益の供与」であり、これに関し、住民訴訟原告はこれが違法であると訴えました。
が、高裁でこれを取り沙汰することはありませんでした。
ただ、「放棄されたので消滅した」としただけでした。
しかし、これは国税の問題とは別なのです。
今回の市議会による債権放棄に、いくら理由がつけられようが、法的に適法かどうかの判断がなかろうが、利益が供与されていることには間違いありません。
国税はこれを見逃すのでしょうか。
私はそうは思いません。
そしてもはや、この債権放棄を撤回することもできません。
すでに巨額の利益供与は実行されてしまったのです。
参考まで、いい記事を見つけたのでリンクしておきます。
税理士さんの解説です。
本件住民訴訟は一審で原告住民が全面勝訴し、高裁に国分寺市が控訴しました。
高裁の判断が待たれる裁判終結の途中で、星野前市長への債権が放棄されたため、裁判は再開されました。
私たち原告はこれについて、
1. すでに放棄されてしまったものを「違法で無効」とするだけでは回復できない。
2. 最高裁の示していたこの種の債権放棄が適法であるかの規準に違反している。
3. 議員らにより債権の引き受けがあったとみなせば回復する。
以上の主張を行っています。
もちろん、3.の議員らによる星野前市長の債務の引き受けというのは、異例の司法判断になるでしょう。
やや拡大解釈した部分はありますが、宙ぶらりんの4億5千百万円はいったいどこへ消えてしまうのか、この状態を是正するために必要な判断であると原告は求めたのでした。
しかし、高裁は司法による行政に対する直接の措置、是正措置となる判決をして、行政の独立性に関わることは考えなかったのでしょう。
また、3.のように、もし議員らに請求せよとなれば各議員らは個別に裁判をしてくることが考えられます。
そうして、またそれぞれの議員らが「放棄が違法か適法か」を争い、その間にも星野前市長の資産は隠され、移転していくでしょう。
つまり回復はもともと不可能であったとすることもできます。
だから、高裁はこの事実だけを認定し、裁判を終結させました。
それは考えてみると、国税当局にボールを渡すという意味があったのかも知れません。
やはり司法は正しい判断を行っているのです。
こうした「債権放棄」は議決までの段階で新たな裁判となり、争われることがほとんどでした。
今回のように市長が「執行」をして、利益供与を具体的に行ってしまった自治体はありません。
こうした違法な債権放棄について、「(こんなことが認められたら)やったもの勝ちになってしまう」、と、原告は訴えました。
しかし、そこには勘違いがありました。
実はすでに「やった」状態であったのであり、原告の主張は現状と矛盾していたのです。
そうすると、もはやこうした債権放棄が違法であるとか適法であるとかに関わりなく、星野前市長へ4億5千百万円の利益が供与されたという事実でしかないことになります。
正しくは判決が確定し、事実が確定した日までの利息分(複利計算)と合わせ、約6億6千6百万円が星野前市長の所得となります。
所得税の税率は45パーセントですから控除額を考えなければ約3億の税金ということになります。
本件住民訴訟は三審制において最高裁まで上告し、棄却によって高裁判決は確定しています。
司法判断は厳然としており、「地方公共団体(法人)による個人への贈与」は確定しました。
結局、高裁はトンデモ判決を出したわけでもなかったと言えます。
千葉意見書からすればこうした債権放棄にひとこと注意をうながしてもよかったと思いますが、あそこで書かれていることはもう少し穏やかなことです。
「債権放棄の議決」だけについて意見されたものでした。
しかし「執行してしまった」となれば話は別です。
司法は税務当局にボールを渡したのです。
この結末はもう戻れないものとなってしまいました。
私どもは、今後の国税当局の動きを見守ってゆくしかありません。
本件裁判の番号本件裁判の番号
1.地裁 (原審) 平成29年(行ウ)第232号 損害賠償事件(住民訴訟)
2.高裁 (控訴審) 令和元年(行コ)第143号 損害賠償請求事件(住民訴訟)
3.最高裁(上告審)
令和 2年(行サ)第 36号 行政上告提起事件
令和 2年(行ノ)第 38号 行政上告受理申立て事件