他力本願をしない決意
この住民訴訟を提起してから、私はこのことを市民のみなさんに知っていただきたいと思いました。
何しろ、私たちの市なのですから。
経過も説明したいし、私が立証してきたことをご説明したい、と。
しかしホームページすらなかなかできず、裁判で色んなことが手一杯で、私ひとりでやるにはとても大変だったのです。
訴訟では証拠集めをします。私がそれをやらねばならいのです。
弁護士に丸投げしても手元にあるものでしかやってはくれません。新証拠、新しい疑惑などを掘り下げる作業は原告の仕事です。
しかも、なかなか弁護士が事件の内容と、市民として主張すべき点について理解してくれないので、メールをしたり説明をしたり、説得をしたり、それこそてんてこまいでした。
そんな時、私はネットでこの協力ができないかどうか、ホームページを作ってくれるとか、そんなことを、「誰か支援してくれるかどうか」を聞いてみました。
そこで言われたことは、最初はとても厳しい言葉に感じたものでした。
「他力本願はよくない」
正直、「何ということか」と思いました。
私は公的な意味で市の利益のために訴訟をし、私たちの市から違法に支出された財政について取り戻すよう、住民としてボランティアとして住民訴訟をしているのです。
落ち込みました。
誰も黙って何もしないならと、私が始めた市民の財産のための訴訟は、なぜ理解されないのだろうか、どうして支援されないのだろうか。
私は無力感すら感じました。
・・・しかし、よく考えてみると、
私の考え方は誤りだと分かったのです。
ボランティア的に市のために住民訴訟をしたからといって、助けてもらいたいとか、市民のみなさんで取り組んでほしいなどと考えていたらそれは傲慢というものではないか。
「みんなのためにやっているんだ」なんておこがましい話ではないか。
まるで、「ボランティアでやっているんだから弁当ぐらい寄越せ」なんて言うようなものです。
しかし私は別に立派なことをしているわけではない。
当然のこと、市民の一人としてやるべきだと思ったからやってきたはずなのです。
私は、このようなご批判はもっともだと思うようになりました。
訴訟をするのもしないのも自己責任です。
自腹だろうがなんだろうが、私がやると始めたこと。
決意したのは自分なのだから、私自身が最後までやるべきなのだ、と。
人の助けなどアテにしてはいけない。事実そうでした。弁護士すらアテにはできませんでした。
そして一方で、それぞれ人には考え方、やり方、生き方があるのだ。
と。
私は市民グループとかそのような活動に関わったことがありません。
この選挙も、無所属、無党派、無派閥です。
この「市長が不法行為で市の財政に損害を与えたままである」という事実すら内容をよくは知りませんでした。
阻害されたように感じる多く、私もそんな同じ無党派の有権者です。
ひとりの普通の市民として、私はふとした疑問からこの訴訟に関わるようになったに過ぎません。
確かに、正義を通すのも、前市長の違法行為を看過してしまうのも自己責任です。
私が決意してやっていることなら、私が全力で向かうべきなのだと思ってきました。
私は市長が市政を私物化し、大きな損害を与えたことを看過できません。
私はそれから、他力本願をしないと決意しました。
とてもあの時のご意見は私にとって役に立ったと思っています。
まず自分がやる。
もちろん、誰かが私に協力してくれるのであればお願いすることはやぶさかではありませんが、まず自分で立つ。
これから何事も、このことを肝に命じてゆこうと私は思います。
そして、私は統一地方選挙に立候補する決意をしたのです。
投票し、私に議員を任せてください。
私がやります。
市政を通じて私は皆さんに貢献できます。
どうぞよろしくお願いします。