公職選挙法のココロ
公職選挙法の趣旨というものを少し考えてみます。
とにかく公示日まで一切のことを公にしてはいけない。出馬するなんて言ってはいけないというのが原則です。
印刷にしても選挙の準備にしても、なるべく秘密にやりましょうということ。
決して、他人に「俺は今度立候補する」とは言ってはいけません。
ちゃんとこれは選管が言っていることです。
私は初めての選挙なので何度も確認したのですから。
ところが、どうも今は一部で「それはいいんだ」「立候補するぐらいは言ってもいい」とか妙な解釈をしているのがいるようです。これが黙認されているとしたらとんでもないこと。
こういう法の趣旨を捻じ曲げる主張というのは怖いものを感じます。
そういう解釈をする人々はこういいます。
「今度の統一地方選で立候補する」とは言ってもいい。ただし、「投票してくれ、俺を勝たせてくれ」なんて言わなければいい。
いったい、どういう理屈なのでしょうか(笑)。
立候補するのに、勝つつもりのない候補がいるわけがありません。
つまり、それは「投票してくれ」と言っているのと同じことなのです。
厳しい選管のいる地区だと、立候補を周囲に漏らしていただけで警察がちゃんと来るそうです。
ウチの市でそういうことがないなら、やはり市としての警察署がなくて法治主義が甘いからなのか・・・少し心配になります。
なぜか。
公示前までは立候補するつもりであるなんて、秘密が原則ですが、なぜでしょうか。
でないと選挙が始まる前から「明るくない選挙」が起きることになるからです。
「あいつが立候補するらしいぞ、生意気だ、よしちょっと言っておいてやれ」
なんて、選挙が始まってもいないのに市民としての権利である立候補に圧力がかかったりイジめみたいなことが起きたりする。
もちろん、それはそんなことを漏らした人が悪いとも言えます。
わざわざ、そういう地域の住民に暗い思いが起きるようなことをしたのです。もはやそうなるとどっちもどっちです。
あるいは、
「あいつが立候補するつもりなら俺は出ない、そんな責任はごめんだ」
なんて、候補者同士が遠慮や譲り合いをしてしまうことだってあるでしょう。
そうなると市民の意思の反映じゃなくて、利益調整の挙句に議会が選ばれるということになります。
とてもそれは市民の利益のための議会とはいえないものになります。
ちょっと考えるだけでも公示日前に立候補を表明することには問題があることがわかるでしょう。
あらかじめ立候補するなんて言ってたら、選挙は少しも有権者のため、地域のためにはならないのです。
よーいどん。
そうなるように選管は苦労しているのです。
誰が立候補するか、どこから何人が立候補するかなんて、基本はみんな公示日まで知らないのが正しいことです。
そして告示があったら有権者も候補者も、誰が立候補しているかを見る。
そして有権者はよく考える。
候補者は個人演説会で話をする。
それが堂々としたやり方ではないか。
基本のことがわかっていながら知らん顔をして「書いてないからやっていい」なんていう人間は信用すべきではありません。
まさか「気がつかなかった」というなら、ぜひ改めていただきたい。
私も今更ながらですが、立候補することにしてからやっと「明るい選挙」という、昔のキャンペーンの意味がわかった気がします。
事前のつばぜり合いなんかが起きては公正ではない選挙になってしまう。
だから私はここに名前も選挙区も書きません。
うっかり書いてやしないかと、時々検索をしてキーワードを調べるぐらいなのです(笑)。