なぜ通報しなかったのか
私の政策目標は「国分寺市のコンプライアンスの向上」それに尽きます。
妙な馴れ合い意識で抜け道を使ってまで債権放棄、星野前市長は請求を免れるのでしょうか。
そんなことは決して許されることではありません。
市税を滞納すれば差し押さえられる市民もいらっしゃる。滞納すれば督促が来ます。酒気帯び運転をすれば逮捕だってありえるのです。
国分寺市議会は特別扱いにするつもりでしょうか。
議会に酒気を帯びて登庁してきた議員がいた。
詳細は存じ上げません。どれだけの議員がその場にいたのか、どんな騒ぎになったのか、そこまでの報告と説明はされていません。
しかし、なぜ通報しなかったのか。
市役所で警察沙汰は恥ずかしいとか、議会の体面とか世間体とか、色々とあったのでしょう。
しかしそれは間違いでした。
議員辞職勧告などしてもそれは後のことです。ただの議会の都合でしかない。
もしその議員が帰宅途中に事故を起こしていたら? 誰かが傷ついてしまったとしたら? その議員にとってもいいことではなかった。
通報しなかったことで、その後どんなことになったか、危険はいくらでもあったはずです。
児童虐待やイジメで命を落とす子供がいる。
この問題を政策アピールにしている候補は多いことでしょう。
相談を受けても通報をためらい、そうやって子供が亡くなっているのではないか。
同じことなのです。
「それとこれとは違う」などというような、大人の都合などあり得ない。
それがコンプライアンスです。
体面や世間体は命や財産より優先しない。
「できもしない公約を掲げる候補は犯罪ではないか」そんな不満をぶつけてこられた有権者がいます。「消費税10パーセントを止めさせる」、どうしたって国会が決める法です。これを動かすのは地方議員ではありません。
理屈からして成立しない、できないことを、まるで公約のように擬装していると怒っておられました。確かに犯罪ではなくても、「犯罪的」な「有権者に対する欺瞞」と言えます。
同じことです。
大人の酒気帯び運転を見過ごしにし、星野前市長の違法行為を見過ごしにするような議員が、なぜ「児童の虐待問題に対策が打てる」などと約束できるのか。
空虚な言葉だけではいけない。
スローガンだけでは意味がない。
私はそう思います。